上総堀り発祥地碑

上総堀りは、江戸時代後期に上総地方に伝わった鉄棒による井戸掘り法(突き堀り)を、より深くまで掘削できるように改良した井戸掘り技術です。人力で数百メートルの深い井戸を掘ることができ、明治20年代に完成し全国に広まりました。

上総高校近くの春日神社前にあるこの碑は、上総堀り発祥を後生に伝えようと小糸町教育委員会が昭和37年8月に建立したものです。

鹿野山の東山麓から北山麓へかけての小糸地域には、自噴井戸(掘り抜き井戸)が多く、「小糸」の地名の起こりは「小井戸」にあるともいわれています。

また小糸地区には、「泉」「大井」「大井戸」「深井」など、井戸に関係した地名が多くあります。
この地方での上総掘創始者(開祖)は、君津郡誌によると中村糠田(君津市糠田)の池田久蔵であるといわれています。

池田久蔵は文化14年(1817)から井戸掘り業を家業とし、その後、孫の久吉を助手としました。そして久吉から親戚の池田徳蔵へ、徳蔵から石井峯次郎へ伝授され明治19年頃に竹ヒゴ式の上総掘りが成立されたといわれています。

そして上総地方では明治26〜27年大干ばつに見舞われ、これを機に、見よう見まねで腕に覚えのある器用な農民が自家の耕地に掘り抜き井戸を掘ったことで広く普及したようです。

水量も豊かで一定温度を保有する掘り抜き井戸の水は、現在でも農業用水として利用され、全国一の生産量を誇るカラーの水耕栽培等に使われています。


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